こんにちは、世界一周経験者のぴっぴです。
2016年~2017年の世界一周で忘れられない出会いがあります。
それが、現在もカンボジアで地雷撤去処理の第一線で活躍されている高山良二さんです。
世界一周終盤に訪れたカンボジアにて、ご縁があって高山さんにお会いすることができました。
現地では高山さんの活動に3日間ずっと同行し、本当にお世話になりました。
たった3日間でどれだけ多くのことを学ばせていただいたことか…
当時高山さんから教えてもらったことは、4年経った今も確実に私の中に生き続けています。
当時学んだことを文章として記録に残し、伝えたい。
そしてもっと多くの人に高山さんやその活動について知ってほしい。
そんな思いから当時の記憶を呼び起こし、ここに記しておきたいと思います。
高山良二さん、一体どんな人なんだろう…?
この記事は前編と後編の2つに分かれており、前半(本記事)では「地雷撤去処理活動について」、後編では「井戸掘りや学校建設など」についてお話しています。
(後編はこちら▼▼)
- 高山良二さんってどんな人?
- バッタンバン州タサエン村とは?
- 住民参加型地雷撤去処理活動とは?
- 地雷処理の手順
- 殉職デマイナー10年目の慰霊祭に参加したときの様子
カンボジア・バッタンバン州タサエン村へ
2017年1月。もう私の世界一周も終盤に差し掛かった頃。
1人の男性に会うべく、カンボジアのシェムリアップからバスと乗り合いタクシーで約7時間、タイとカンボジアの国境にある「タサエン村」にやってきました。
タサエン村はタイにかなり近いんだね!
一体どんな場所なんだろう?
みなさんは1970年から22年ものあいだ続いた「カンボジア内戦」をご存じでしょうか。
内戦では多くの人の命が奪われただけでなく、240万個以上の不発弾と400〜600万個もの地雷が「負の遺産」として残されました。
タサエン村は、内戦時に最後の激戦区となった場所でした。
タサエン村はポルポト軍が最後の砦とした場所で、今もあちこちに地雷が埋まっているんです。
地雷に汚染され復興が遅れたタサエン村では、多くの村人が貧しい生活を送っていた。
そんなタサエン村に救いの手を差し伸べたのが高山さんでした。
高山さんはタサエン村の自立復興を目指して18年以上も地雷撤去処理の第一線として活動を続けています。
そして今、タサエン村は驚きの復興を遂げているのです。
高山良二さんって、どんな人?
高山さんって一体どんな人なの?
もともとは陸上自衛隊に勤務されていたんだけど、2002年からカンボジアで地雷撤去の活動を始められたんだよ。
陸上自衛官として36年間勤務
1947年生まれ、愛媛県出身。
36年間陸上自衛隊に勤務していた高山さんは、現役だった1992年から1993年にかけて、PKO(国連平和維持活動)で半年間カンボジアに派遣されました。
そこで地雷処理専門の部隊の隊長補佐として、約80名の隊員とともに現地入りしました。
その任務中、目の前で不発弾に接触した少年が爆死するといった過酷な現実を目の当たりにして大きなショックを受けます。
PKO活動は高山さんの人生観や価値観を根底から変えるものでした。
地雷処理の方法を知っているのに任務外だからできない。悔しい。
絶対またここに戻ってきてやり残したことをやるんだ。
高山さんはそう自分に誓いました。
そして10年後の2002年、55歳で自衛官を定年退官したわずか3日後には飛行機に乗り、ついにカンボジアの地へ戻ってきたのです。
カンボジアへの思いは10年経っても変わらなかったんだね。
NPO法人IMCCDを設立
一番地雷が多くて、開発に困っている場所に入らせてください
そう言って任務を任されたのが、カンボジアで最も貧しい地域である「タサエン村」でした。
数十ヘクタールにおよぶ地雷原は60カ所もありました。
カンボジアに戻ったあと、高山さんはJAMAS(日本地雷処理を支援する会)に参加して理事をつとめるなど、タサエン村を拠点に地雷や不発弾処理活動に尽力します。
JAMAS退任後の2011年には、IMCCD(国際地雷処理・地域復興支援の会)を設立しました。
高山さんたちの地道な活動は、着実に実を結んでいきました。
地雷が除去された安全な土地が増え、農作物が育てられるようになっていったのです。
2020年1月の報告によると、なんと東京ドーム54個分の土地の地雷処理が完了したそうです。
す、すごい!!!
IMCCDのパンフレットには、安倍昭恵さんや向井理さんの写真が。
向井理さんが使っていたという宿舎のハンモックを「ぜひ私も使いたい」と思ったんですが、風邪をひいてしまい断念しました(笑)。
「奇跡体験!アンビリバボー」にご出演
2019年に、高山さんは『奇跡体験!アンビリバボー』という番組に出演されています。
とても有名な番組なので、見たことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
高山さんの人柄や人生の軌跡を知ることができる素敵な内容でした。
残念ながらYouTubeに上がっていた動画は削除されてしまったようですが、機会があればぜひご覧いただきたいです。
座右の銘「頑張るな、楽しめ!」
高山さんは『地雷処理という仕事』という書籍も出版されています。
私も拝読しましたが、高山さんの哲学や信念が集約された本当に素晴らしい本です。
その本にサインを頂きました。
「がんばるな!楽しめ!」
高山さんの座右の銘だそうです。
高山さんはおっしゃいました。
皆さんは、私がカンボジアのために尽力していると称えてくれる。
それは確かにそうなんだけど、結局は「自分が楽しいから、やりたいからやっている」んです。
そうでなきゃ、こんなに長いことカンボジアにいれないですよ。
「やりたいことをやる、自分が楽しむことが一番大切」と話す高山さん。
この言葉は私の心に強く響きました。
今でも高山さんの座右の銘は、私の人生哲学ににおいて1つの軸になっています。
タサエン村の人々は、高山さんのことを「ター」と呼び親しんでいます。
「ター」とはクメール語で「おじいさん」という意味です。
高山さんは村の人たちからとっても愛されているんだね。
地雷処理の様子を見た
でも実際に、地雷処理ってどうやってるの?
地雷撤去の処理作業をする人たちのことをデマイナー(地雷探知員)と呼びます。
実はこのデマイナーは、タサエンの村人たちが志願してメンバーになっているんです。
選ばれた村人はトレーニングセンターで訓練を受け、デマイナーとしてデビューします。
住民参加型地雷撤去処理活動
高山さんが創った地雷処理活動の仕組みは住民参加型地雷撤去処理活動と呼ばれます。
住民参加型地雷撤去処理活動?
専門のプロではなく住民自らが地雷処理を行う仕組みのことだね。
危険な地雷除去作業は、訓練を受けたプロが行うのが通常ですが、 私たちは村人を雇用して仕事を生み出し、日本人地雷処理専門家が地雷処理の技術を教え、 村人自らが村の地雷を除去することで被災者の減少や、貧困の解消、その他地域の復興に繋げることを目指しています。
引用元:IMCCDとは
一般的にデマイナーは特別な訓練を受けたプロの仕事です。
しかし高山さんは村人を雇用することで貧困を解消し、自立復興につなげようとしているのです。
デマイナーを村人から募集して育成するというのは、誰もやったことがない前代未聞の挑戦でした。
高山さんは言います。
地雷撤去をするだけではいけない。
ゴールはタサエン村の自立復興なのです。
いずれ彼らは自分たちで平和を構築していかなければならないのですから。
単なる支援ではなくて、村の自立復興に向けた「教育」もしているんだね!
地雷撤去の作業要領
ある日、私も地雷撤去処理の様子を見学させてもらえることになったんです。
デマイナーさんたちの1日は朝礼から始まります。
地雷撤去をする場所へ向かいました。
もしもの場合に備えてヘルメットを着用。
ヘルメットには分厚いガラスがついていて、とんでもなく重いです!
- 1人が幅1.5mを除草
- もう1人が金属探知機で探知。
▶反応がなければ、40cm進む。
▶反応があれば小さなスコップや刷毛で土を少しずつどかして、金属が何かを調べる。
地雷撤去作業は、基本的に2人ペアで行います。
まず1人が雑草や木を地面ギリギリまで取り除きます。
それが終わったら後ろで待機していたデマイナーと交代し、今度は金属探知器で探知していきます。
とても神経をすり減らす作業で、わずか40cm進むのに1時間以上かかることもあるそうです。
また防護服やヘルメットは重く、炎天下での作業はさらに重労働です。
しかしみんな、黙々と息の合った作業を進めていきます。
すると突然、金属反応の音が鳴りひびき緊張が走りました!
この金属が何であるかを慎重に調べていきますが、この時がもっとも危険な瞬間です。
今回は地雷ではなく手榴弾。
「危険は無い」とのことで、ホッと胸をなでおろしました。
以前に撤去した3つの地雷を誘発爆発させて処理をするとのこと。
人生で初めて地雷を見ました。
「Danger!Mines!」と書かれた赤いドクロマークの旗の下に埋まっているのが地雷です。
火を付けてから爆発までの時間は3分。
それまでに安全な場所へ移動しなければなりません。
私は離れたところから見守りました。
皆さんがプロだとは言え、とてもドキドキしました。
そして…ドッカーン!!!
地雷が物凄い音を立てて爆発しました。
モクモクと立ち込める黒い煙。
地雷処理がいかに危険な作業かを実感するね…
実際の「地雷・不発弾の爆破処理の様子」をおさめた動画があるのでご覧ください。
こちらは高山さんが地雷原を案内されている動画です。
地雷処理の様子を見ていると、高山さんとデマイナーのあいだに確固たる信頼関係が築かれているのを感じました。
デマイナーの皆さんとランチ
地面にシートをひいて、高山さんとデマイナーの皆さんと昼食をご一緒させてもらいました。
スイカを切り分けてくださった。
すると高山さんから、耳を疑う言葉が。
カンボジアではスイカと魚を一緒に食べるんだよ
スイカと魚!?
せっかくなので食べてみたんですが、慣れない組み合わせで私にはちょっときつかったです(笑)。
とても穏やかで楽しいランチタイムでした。
でも実は平和に見えるこの場所も、周辺にはまだ地雷が埋まっている可能性があるのです。
(▼2020年10月にアップされた実際のランチタイムの動画▼)
殉職デマイナー10年目の慰霊祭に参加
2007年1月、高山さんにとって人生でもっとも辛い出来事が起こります。
高山さんが現場を離れていたとき、地雷処理活動中だった7名のデマイナーが対戦車地雷の爆発事故により亡くなってしまったのです。
高山さんは現場に駆けつけ、散乱した遺体の収集をしました。
活動は2ヶ月ストップし、トラウマで眠れなくなった遺族の家に毎日通ったそうです。
活動の継続はもはや困難かと思われました…残されたデマイナーのなかで「やめたい」と言った人は一人もいなかったそうです。
事故のあとも地雷処理を続けることを選んだデマイナーたち。
高山さんは彼らと一緒にカンボジアの復興を固く心に誓ったのです。
7名のデマイナーの死を「かわいそう」で終わらせてはいけない。
100年先も彼らのことを活動の根幹において、決して忘れてはいけない。
そういう思いから、高山さんは慰霊塔を建てました。
高山さんとご遺族との絆
私が現地を訪れた2017年は、事故が起きてからちょうど10年の年でした。
「殉職デマイナー10周年の慰霊祭」があるということで、私も参加させてもらえることになったのです。
会場に到着すると、設営準備の真っ最中。
高山さんが次々と指示を出していきます。
村人たちがもっと自分たちで能動的に動けるようになってくれればなぁ~
と高山さん。
慰霊祭が始まりました。
高山さんがスピーチをしました。
この事故の全ての責任は私にあります。お詫び申し上げます。
死ぬまでタサエンの復興に携わり、少しでも皆さんの生活を豊かにするお手伝いをすることで、彼らの供養ができればと思っています。
聞いていて涙が出そうになりました。
ご遺族の皆さんは、真っ直ぐな目で高山さんを見つめていました。
写真の眼鏡の男性は事故で娘さんを亡くされました。
彼は慰霊祭に参加するために、遠方からはるばる来たのだそうです。
ご遺族の方々が、高山さんと慰霊塔の前で記念撮影。
慰霊塔には殉職者7人の遺影が飾られていて、その左端には1人分のスペースが空けてありました。
このスペースには高山さんご自身が入るつもりで、死後に彼らと向こうの世界で再会するのだといいます。
いつかタサエンの土地がすべて生まれ変わったとき、その平和の礎に犠牲となった7人がいることを、慰霊塔がずっと伝え続けてくれる。
そしてそれこそが「彼らの供養になる」という高山さんの強い思いがあります。
「日本人の誠意をこの慰霊塔を守り抜くことで示していきたい」とおっしゃっていました。
慰霊塔が新しく生まれ変わった!
2007年に建てられた慰霊塔は年々傷みがひどくなり、全面修復が必要になっていました。
これは私が帰国したあとの2020年の話なのですが、クラウドファンディングで募った支援金や寄付金などを建設資金に、慰霊塔が新しく生まれ変わったのです!
わぁ、綺麗~!!
「1000年先も日本の心を受けとめてもらえれば」と石の地蔵も設置されました。
地場産業で自立復興へ
高山さんたちの活動により安全な土地は確実に増え、畑には芽が出はじめました。
しかし高山さんはあることに気付きました。
地雷処理は復興の一助にはなるが、復興まではできない…
活動を継続していく中で「地雷・不発弾処理活動が最終目的ではない。地域が安全になって、そこに暮らす人達が生活できるための地域復興が不可欠である」と気が付きました。
そうして、農業や地場産業の発展を広げる活動の必要性を感じるに至りました。
引用元:IMCCD 「ごあいさつ」
地雷処理から畑へ、そしてカンボジアの復興へ。
村の自立復興のために地場産業を起こせないかと考え始めたのが、主産物のキャッサバで作った芋焼酎でした。
カンボジアの地雷原から生まれた、キャッサバ焼酎「ソラクマエ」です。
農作物に付加価値をつけて高値で売れるものを作る仕組みをつくろうというアイデアから生まれたものでした。
酒造りの経験のないメンバー3人で始めた試みが形になり、独特の豊かで味わい深いおいしいお酒が生まれたのです。
ソラークマエは心なしか、前回ロットより雑味が少なくなったような気がする。うまい。 pic.twitter.com/KsKhZnU7UN— 零細企業おとんちゃん✨ (@upopoipo) December 13, 2018
「ソラクマエ」は日本国内でも購入可能です。
購入ページ▶「ソラクマエ」販売ページ
ソラクマエの成功を受けて、他にもモリンガ・パパイヤ・バナナ・アボカド・カカオ・パッションフルーツなどを無農薬で栽培し、お酒やドライフルーツの加工品を作っています。
現在は空港で販売されるなど体制が整いつつあり、これからの成長がとても楽しみな取り組みの1つだそう。
私も焼酎を試飲させて頂きました。
焼酎はあまり得意でない私でも、とっても飲みやすくて美味しかったです。
農作物を加工販売することで、村の自立へと一歩ずつ進んでいるだね!
「人間が犯した罪」を後世に残してはいけない
高山さんはおっしゃいます。
人間が犯した罪は、後世に残すわけにはいきません。
紛争地であった場所で、地雷・不発弾の除去を実施することは、「一度銃の引き金を引く選択をしたならば、後世に大きな負の遺産を残してしまうこと」を国際社会に訴え続け、平和構築理念の重要性を高めるきっかけづくりになるとも考えております。
辛い現実を受け止め活動することで、人々に理解していただきたいのです。
引用元:READYFOR
戦争反対と訴えるだけの平和願望では平和はきません。
現実と向き合い現実的に活動しながら、現実的な平和構築をみんなでやらなければなりません。
引用元:READYFOR
人間が犯した罪を後世に残してはならぬ。
平和を願うだけでは平和はこない、現実的に行動しなければいけない。
この言葉は私にとても刺さりました。
そうか、ボクたち一人ひとりが現実的に行動しなければいけないんだ。
一体なにができるだろう…しっかり考えたいね!
タサエン村の滞在記は後編に続きます。