中東

パレスチナ自治区で3泊4日の民泊(前編)ベツレヘム滞在【分離壁・難民キャンプへ行く】

パレスチナ自治区で2泊3日の民泊(前編)ベツレヘム滞在【分離壁・難民キャンプへ行く】 (1)
ぴっぴ

こんにちは。
世界一周経験のあるぴっぴです。


今回は2016年にパレスチナ自治区のベツレヘムにて3泊4日の民泊(Airbnb)をしたときの体験をふまえ、「パレスチナで今何が起きているのか」についてお伝えしたいと思います。

パレスチナ自治区 ベツレヘムで民泊(Airbnb)

多くの人にとってパレスチナと聞いて思い浮かぶのは、「イスラエル・パレスチナ問題」ではないでしょうか。

歴史、宗教、政治など多くの複雑な問題を抱えるこの場所の名を、私たちはメディアのニュースなどでよく耳にします。

しかし日常生活のなかで日本から遠く離れた中東の地に思いを馳せる機会はさほど多くないという人ばかりだと思います。

ベツレヘムの分離壁

2016年に世界を旅していた私は、本当に無知でした。

「パレスチナ問題」についても知らないことばかりで、だからこそ現地のリアルを自分の目で見たいと思い訪問しました。

パレスチナではたくさんの優しさに触れました。

パレスチナ自治区 ベツレヘムで民泊(Airbnb)

パレスチナには私たちと同様、学校に通って、仕事をして、家族団らんをして、くだらないことで笑い合う「当たり前の日常」がありました。


一方で、その「日常を脅かす危険」と隣り合わせのショッキングな現実も目の当たりにしました。

「平穏な日常」をすでに奪われてしまった人にも出会いました。

パレスチナ自治区 ベツレヘムで民泊(Airbnb)
ぴっぴ

正直胸が苦しくなる瞬間も多かったけど、少しでもパレスチナのことを知れて本当に良かったです。


あれから3年経った今でも、パレスチナは私にとって特別な思い入れがある大切な場所です。

パレスチナのために、自分に何かできることはないか。


そう思い続けてきましたが、自身のメディア(当ブログ)「発信すること」が自分にできることだと思い、今回記事にしました。


本記事はパレスチナ滞在記(前編)ということで

  1. イスラエル・パレスチナ問題とはなにか
  2. パレスチナ自治区「ベツレヘム」の様子
  3. 民泊でお世話になったパレスチナ人一家のこと
  4. 「分離壁」を訪れたときの様子
  5. 「難民キャンプ」を訪れたときの様子

などについてお伝えします。

ぴっぴ

少しでもパレスチナを身近に感じていただけると嬉しいです。

「イスラエル・パレスチナ問題」はとてもデリケートな問題で、正直私のような知識の浅い人間が個人の考えを語れるものではないと思っています。

できるだけ事実と実体験をベースに書いたつもりではありますが、もしも不快にさせる文章がありましたら申し訳ございません。


「イスラエル編」がまだの方は、ぜひこちらの記事も合わせてお読みください。

ポン

よし、ポンもパレスチナについて勉強しよう!

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パレスチナの基礎情報

ポン

そもそもパレスチナってどこにあるんだっけ?


パレスチナは中東に位置しています。

アフリカ大陸とユーラシア大陸を結ぶ「文明の十字路」として、古代から交易や異文化が交わる場として機能してきました。

そんな独特の歴史のなかから、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という3大宗教も生まれたのです。

(出典:CCP Japan「パレスチナ問題とは」

ポン

歴史的にもすごく重要な場所なんだね。

パレスチナは、ヨルダンに接する「ヨルダン川西岸地区」と、エジプトに接する「ガザ地区」の2つに分かれています。

(出典:CCP Japan「パレスチナ問題とは」

ぴっぴ

私たちがニュースで耳にするパレスチナ関連ニュースのほとんどは、「ガザ地区」で起きています。


このエリアは1994年に「パレスチナ自治区」とされ「パレスチナ自治政府」が存在していますが、独立国家ではありません

ポン

パレスチナは「国ではない」ってこと?

日本はパレスチナを国として認めていない

2019年5月の時点で、国連加盟国193ヵ国のうち137ヵ国がパレスチナを国家として承認しています。

しかし日本を含むアメリカやヨーロッパ諸国など多くの主要国はそれを認めていません。

下の画像の緑部分が、パレスチナを「国家承認」している国々です。

出典:Wikipedia「パレスチナ国」

イスラエル・パレスチナ問題とは

ポン

よく聞く「イスラエル・パレスチナ問題」って一体なに?

非常にざっくりとした解説になっています


「イスラエル・パレスチナ問題」とは、一言で言うとイスラエルとパレスチナ間における領土争いです。

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紀元前、パレスチナにはユダヤ人が住んでいた

ぴっぴ

今のイスラエルがある場所には、もともとユダヤ人が住んでいました。

イスラエル王国

彼らはパレスチナの地で国家(イスラエル王国)をつくり繁栄していましたが、紀元前1世紀にローマに征服されて追い出されてしまいます。

ユダヤ人たちはパレスチナを「約束の地」と呼び、いつの日か故郷に帰れる日を夢見ながら泣く泣く世界に散らばっていったのです。

イスラエル王国

故郷を失ったユダヤ人たちはその後、世界各地で迫害を受け続けることになります。

しかし一方で、キリスト教徒から忌み嫌われていた金融業で成功しお金持ちになるユダヤ人もたくさん出てきました。

ユダヤ人が追い出された地に住み着いたアラブ人

ユダヤ人が去ったパレスチナの地には、やがてイスラム教徒のアラブ人が住み着きました。

このアラブ人が、現在「パレスチナ人」と呼ばれている人たちです。

彼らアラブ人たちにとっても、聖地エルサレムがあるパレスチナは特別な場所になっていきます。

16世紀以降はイスラム系のオスマン帝国がパレスチナの支配者となりました。

一方、世界中に散ったユダヤ人はヨーロッパなどで迫害を受けたため、パレスチナ人から土地を買って少しずつ故郷へと戻っていきました。

いっときはアラビア語を共通言語に、イスラム教徒・キリスト教徒・ユダヤ教徒が共存していたのです。

ポン

共存できてた時代があったんだ…。


しかし19世紀にはいり、オスマン帝国は崩壊の危機を迎えます。

そこで起こった動きが2つ。

  1. オスマン帝国から独立したいアラブ人の動きが活発化
  2. ユダヤ人たちの「シオニズム」(パレスチナに故郷再建する運動)が活発化

19世紀末には、お金持ちのユダヤ人によるパレスチナの土地の買い占めが始まりました。

イギリスの三枚舌外交

ポン

でも、なぜ共存できていたはずのユダヤ人とアラブ人が、今みたいに対立してしまったの?

ぴっぴ

実はイギリスの「三枚舌外交」が大きく関わってるんだ。

三枚舌外交とは

イギリスの第一次世界大戦における中東問題をめぐる外交政策

イギリスはユダヤ人、アラブ人、フランスの三者と矛盾する約束をしました。



時は第一次世界大戦

イギリスはオスマン帝国との戦いを有利に進めたいという思惑から、次のような約束を結びます。

戦争資金を調達するためにユダヤ人には、

英➡ユダヤ人

パレスチナのユダヤ国家建設を支持するから、経済的支援をして。


アラブ民族主義を利用するためにアラブ人には、

英➡アラブ人

アラブの独立支持支持するから、オスマン帝国に反乱を起こして。


そしてフランスには、

英➡仏

戦争が終わったら領土を山分けしましょう。



戦争では英仏同盟国側が勝ち、パレスチナとヨルダンはイギリス、レバノンとシリアはフランスの委任統治領になりました。

ユダヤ人は「国家をつくっていいんだ」と世界中から次々とパレスチナに移住し始めます。

ぴっぴ

ナチス・ドイツのホロコーストなどのユダヤ人迫害も、その流れを加速させました。

しかしパレスチナの地に住んでいたアラブ人にとって受け入れらるわけがありません。

アラブ人は「イギリスは俺たちの独立を支持するっていったじゃないか!」と反発。

ぴっぴ

こうしてユダヤ人とアラブ人との対立の溝はどんどん深まっていきました。


第二次世界大戦を経て、ユダヤ人は強引にパレスチナにユダヤ国家のイスラエルを建国します。

これでユダヤ人とアラブ人の対立は決定的となり、泥沼化する「中東戦争」へと突入していくのです。

イスラエルは4度に渡るアラブ諸国との戦争をくぐり抜け、中東一の軍事大国になり、現在もパレスチナの地に入植し続けています。

ポン

ユダヤとアラブは共存していたのに、支配をめぐる第三者の身勝手な振る舞いが衝突の種をまいてしまったんだね…。

パレスチナで民泊をしようと思った理由

2016年11月末、私はパレスチナ自治区で2泊3日滞在しました。

ポン

なぜパレスチナで民泊しようと思ったの?

ぴっぴ

「イスラエル・パレスチナ問題」の現状と「リアルなパレスチナ」を知りたいと思ったんだ。


エルサレムからパレスチナまで近いので、ほとんどの場合が日帰りです。


日帰りだとかなり駆け足になってしまうので、せっかくなら宿泊してじっくり現地を見たいと思いました。

現地の人に深い話も聞いてみたかったので、民泊(Airbnb)を利用することに決めました。

ぴっぴ

パレスチナの人たちがどんな暮らしをしているのかについても、純粋にとても興味がありました。

エルサレムから「ベツレヘム」へバス移動

イスラエルの首都「エルサレム」から、パレスチナ自治区の「ベツレヘム」という街に向かいます。

ポン

パレスチナは危険じゃないの?

ぴっぴ

ベツレヘムがあるのは治安が安定している「ヨルダン川西岸」だから、大丈夫だよ。

イスラエルの「エルサレム」からパレスチナ自治区の「ベツレヘム」までは、バスで約1時間です。

ポン

たった1時間でパレスチナまで行けるんだ!

エルサレムからベツレヘムへのバス

イスラエルとパレスチナ自治区の境界にはチェックポイント(検問所)が設けられています。

行きのバスでは、外国人である私は何もチェックされませんでした。

パレスチナからイスラエルへ戻るバスではパスポートチェックがあります。

アラブ人の場合、「チェックに時間がかかる」など嫌がらせをされることも多いそうです。



バスがしばらく走ると、風景が様変わりしていきます。

ベツレヘム

ベツレヘムに到着しました。

ひしめき合う店、人々の活気、雑多な雰囲気…

ベツレヘム

そこはまさにアラブの街です。

すれ違う人が「Welcome to Palestine!(パレスチナにようこそ)」と明るく陽気に挨拶してくれます。

ベツレヘム

今回のパレスチナ滞在では、民泊を使ってベツレヘムのとあるお家に3泊します。

オーナーの女性と待ち合わせしていたんですが、彼女が中々現れない。

ぴっぴ

私が場所を間違えているんじゃないかと焦りました。



アワアワしてたらパレスチナ人のおっちゃんが声をかけてくれて、

「あそこのカフェにWi-Fiあるから使え~」

「連絡取れないなら俺のケータイ使え~」

と、色々手助けしてくれました。

ベツレヘムのおっちゃん
ポン

おっちゃん優しい…

その後無事、オーナーのナタリーと合流できました。

ぴっぴ

おっちゃんありがとう~!

ベツレヘムでお世話になったパレスチナ人一家

今回滞在するお家は、ベツレヘムの有名スポット「生誕教会」から歩いて徒歩1分ほどの場所にあります。

民泊で連絡を取り合っていたオーナーのナタリーはロシア人

ご主人がパレスチナ人で、お子さんが4人います。

ぴっぴ

私が到着したら、みんな温かく出迎えてくれました。

パレスチナ自治区 ベツレヘムで民泊(Airbnb)
ポン

優しそうなファミリーだね~♡


ご主人の仕事や娘さんの大学の関係で、ベツレヘムとヘブロンという街にそれぞれ家があって、行き来しているそう。


家が2つあると空き部屋ができてしまうので、民泊で貸し出しているのだそうです。

とにかくみなさん優しくて親切でフレンドリー

ぴっぴ

仲良し家族で、見ていてとっても微笑ましいんです。


パパさんは英語は話せませんが、ニコニコしながらお茶を入れてくれました。

ナタリーは、

「キッチンは自由に使って、この辺のお茶やコーヒーも好きに飲んでね」

と言って、パレスチナのお菓子ロシア土産のチョコを出してくれました。

パレスチナ自治区 ベツレヘムで民泊(Airbnb)

お部屋はとても快適で居心地が良かったです。

夜は冷え込みが増すので、ヒーターを用意してくれました。

パレスチナ自治区 ベツレヘムで民泊(Airbnb)

24歳の青年、アサド

ステイ先で一番お世話になったのが、アサド24歳

学生をしながらeコマースの会社を立ち上げ、顧客を持ってバリバリ働いています。

年齢のわりに大人びていて、紳士的。

性格も穏やかで優しく、話していると彼の人柄の良さがよく分かります。

ベツレヘムはイエス・キリストが生まれた街

ベツレヘムはイエス・キリストが誕生したとされる「キリスト教の聖地」です。

パレスチナ自治区ですが、世界中からたくさんの巡礼者や観光客が訪れています。

イスラム教徒が多数を占めるパレスチナですが、ベツレヘムにはキリスト教徒も多いのです。

ぴっぴ

私が訪れたのは11月下旬だったので、大きなツリーが広場に飾られていました。

パレスチナ自治区 ベツレヘムで民泊(Airbnb)
ポン

大きなクリスマスツリー!

パレスチナの冬もめちゃくちゃ寒い。

クリスマスの雰囲気を堪能できます。

ぴっぴ

アサドが「土曜日にクリスマスフェスティバルがあるよ」と教えてくれたので、私も行くことにしました。

イエスが生まれた場所『生誕教会』

イエスが生まれたとされた場所に建つ教会。

それが「生誕教会」です。

教会の中に入ると、パレスチナの女の子たちが話しかけてくれました。

3人のうち2人は看護師の仕事をしていて、もう1人は研修中の学生さんらしい。

ベツレヘム

すごく良い子たちで、彼女たちと話が盛り上がっていたら…

「話し声がうるさい」と怒られちゃいました。

ぴっぴ

ごめんなさい



生誕教会は339年に完成しました。

生誕教会

教会はローマカトリック・東方正教会・アルメニア使徒教会が区分所有しています。

生誕教会

イエスが生まれたとされる場所は、教会の地下にあります。

おぉ、あの人だかりができている所か。

生誕教会

銀色の星形になっているところ。

ここでまさにイエスが生まれたとされているのです。

生誕教会
ポン

なんだか不思議な気持ちになるね…。

ぴっぴ

イエスが生まれた場所については諸説あるようです。

市場のおっちゃん

「生誕教会」の帰り道、自炊するために食材の買い出しに行きました。

とある市場を見つけて食材を探していると…

市場のおっちゃんが

「ほーら持ってけ!」

と、いろんな果物や野菜をくれるのです。

ベツレヘムの市場
ぴっぴ

おっちゃん、いいんですか…!?


結局、私が買ったのは写真右の玉ねぎ2つだけ。

写真左の顔(笑)はすべて、おっちゃんがくれました。

ベツレヘムの市場
ポン

おっちゃん優しすぎ!

分離壁へ行く

タクシーをチャーターし、「分離壁」を見にいきます。

ポン

「分離壁」ってなに?

ぴっぴ

2002年からイスラエルがヨルダン川西岸地区との境界に建設中の、巨大なコンクリート壁のことだよ。

イスラエルとパレスチナ自治区の境には、「グリーンライン」というボーダーがあります。

しかしイスラエルはボーダーを超え、パレスチナの領土に食い込む形「分離壁(隔離壁)」という巨大なコンクリート壁を建設しているのです。

イスラエル側の言い分としてはこちら。

この壁はパレスチナのテロリストから市民を守るための「セキュリティ・フェンス」だ。


しかし「分離壁」がパレスチナ人の生活を分断し、大きな影響を与えていることから、分離壁の建設は不当な差別であると国連からも非難されています。

「分離壁」により村が壁によって隔てられたり、学校や職場、病院、自分の畑などに行くための道が閉ざされるといった事態も起きています。

出典:パレスチナ情報センター「アパルトヘイト・ウォールとは」


上の図の「赤いライン」が分離壁で、パレスチナの領土をぐるりと包囲しているのが分かります。

さらに「青いドット」イスラエル人の入植地

イスラエルはパレスチナ自治区の領土内部に、違法でユダヤ人居住区を建設しています。

出典:BB NEWS イスラエルの併合を「心待ち」 西岸のユダヤ人入植地、不動産ブーム


ポン

パレスチナの領土を勝手に奪ってしまうなんて、許されるの…?


2019年11月のBBCニュースでは次のような記事があがっています。

イスラエルは1967年の第3次中東戦争後、入植地を建設してきた。

現在、約140の入植地があり、計約60万人のユダヤ人が居住している。

入植地は一般的に、国際法に照らして違法だと考えられている。
ただ、イスラエルは一貫してこの見方に異を唱えている。

パレスチナは長年、すべての入植地の撤廃を要求してきた。
将来、独立したパレスチナ国家となるべき土地に入植地があると、国家建設がほぼ実現不可能になると主張している。

引用元:BBC NEWS JAPAN



国際法上は違法ですが、アメリカなど各国の思惑などが絡み合うなかで、イスラエルの入植地建設の動きは止められずにいます。

イスラエルは、今のパレスチナをイスラエルの土地にしたいのです。

だから入植地を建設して、安い価格でユダヤ人を呼び込んでいるのです。



ぴっぴ

それでは実際に「分離壁」を見に行きます。



「分離壁」へ向かう途中、車内でドライバーのおっちゃんとおしゃべり。

おっちゃんには9人のお子さんがいるそうです。

「この子の名前は〇〇で…」と、写真を見せてくれました。

タクシーをチャーターして分離壁へ

分離壁に向かう途中、おっちゃんが言いました。

「マイフレンド。あれがイスラエルが建設した入植地だよ」

イスラエルの入植地

「あれが…」

遠くの方に見える白い建物群がまさに、イスラエルの入植地。

おっちゃんが言いました。

イスラエルは不当にパレスチナの領土を奪ってくる。

そのせいでパレスチナ人の生活は圧迫されているんだ。




分離壁に到着しました。

分離壁 隔離壁

雨天だったこともあり、目の前にそびえ立つ壁が不気味さを増しています。

ふと上を見ると、壁の上からイスラエル兵がパレスチナ人たちを監視していました。

ぴっぴ

ここにいるパレスチナ人は常に監視の目にさらされた生活を送っているんですね。


この壁には、様々な訴えのこもったアートやメッセージが描かれています。


“Free Palestine” (パレスチナに自由を)

分離壁 隔離壁

“In war there is no winner” (戦争に勝者なんていない)

分離壁 隔離壁

“Dear Plestine, I’m sorry from Britain”
(親愛なるパレスチナへ、ごめんなさい。イギリスより)

分離壁 隔離壁
ポン

イギリスの三枚舌外交を申し訳なく思ってのメッセージなんだろうね…

“I want peace”(平和がほしい)

分離壁 隔離壁


分離壁のそばには、若いイスラエル兵たちが見張りとして立っています。

分離壁 隔離壁

まだ18歳〜20歳くらいの彼らが、あどけない笑顔で私に手を振って挨拶をしてくれました。

分離壁 隔離壁

ベツレヘムに点在する「バンクシー」アート

ベツレヘムには社会風刺的アートで有名なバンクシーの作品が点在しており、見所のひとつになっています。

歩いていくには距離があるため、タクシーのおっちゃんにいくつか連れて行ってもらいました。

『花束を投げる青年』

バンクシー アート 花束を投げる青年

とあるガソリンスタンド横の壁に描かれていました。

アートの青年が手にしているのは、「火炎瓶」ではなく「花束」

武器ではなく「愛」を持つことこそが平和への近道…そんなメッセージでしょうか。

防弾チョッキを着た鳩

「平和の象徴」である鳩に、銃口が向けられているのが印象的です。

ポン

ひとつひとつの作品が、とても考えさせられるね。

ぴっぴ

パレスチナが置かれている状況の深刻さが、少し垣間見えた気がしました。



帰宅してからは、市場で買った野菜を使って晩ご飯用のスープを作ったり、アサドや妹さんたちと一緒におしゃべりをしたりして、楽しい時間を過ごしました。

難民キャンプを訪れる

パレスチナ滞在2日目

アサドがご馳走したくれたアラビックコーヒーを飲んで、この日の朝はスタートです。

アラビックコーヒー

アサドにお願いして、「ベツレヘムの難民キャンプ」を案内してもらうことになりました。

ポン

なぜ難民キャンプがあるの?

ぴっぴ

イスラエル建国で故郷を追われたパレスチナ人が難民になってしまったんだよ。

1948年のイスラエル建国を受けて勃発した「第一次中東戦争」

このとき70万人以上のパレスチナ人が、イスラエル軍により村を占領・破壊されて故郷と家を失いました。

そこから70年以上の年月を経て、当時70万人だった難民は560万人に膨れ上がっています。

ポン

そんなにたくさんいるの!?

UNHCR(国連高等難民弁務官事務所)によると、世界の難民のうち5分の1がパレスチナ難民だそう。

そしてほとんどの難民が、「いつかは故郷へ帰る」という切望を果たせないまま厳しい生活を強いられています。

参照元:CCP JAPAN 「パレスチナ難民の状況」

難民キャンプへ行く途中に見つけた催涙弾


難民キャンプに歩いて向かう途中、アサドが言いました。

「下を見て。イスラエル兵から投げられた催涙弾が落ちているよ」

パレスチナ ベツレヘム 催涙弾

きっとこの催涙弾は、パレスチナがイスラエルに対するデモを行なった際に、イスラエル側から飛んできたものなのでしょう。

催涙弾で作られた創作楽器がありました。

パレスチナ ベツレヘム 催涙弾

カラカラと綺麗な音を奏でていて、なんとも言えない気持ちになりました。


ベツレヘムで2番目に大きい難民キャンプ「アイダキャンプ」

やがて、「アイダキャンプ」と呼ばれる難民キャンプに到着しました。

ここはベツレヘムで2番目に大きい難民キャンプで、6000人ほどの人々が住んでいるそうです。

住む場所を失っただけでなく、家族を殺された人たちもいます。

難民キャンプ アイダキャンプ

「難民キャンプ」というとテント暮らしなどが思い浮かびますが…

コンクリート建ての家が密集していて、お店もあって、一般的な集合住宅とさほど変わらないように見えます。

ぴっぴ

しかしここには貧しい生活を強いられている人がたくさんいます。


アサドが言いました。

ここの住民は、光熱費なんかを払う必要がないんだ。


故郷を追われたパレスチナ人たちにとって、この場所は一時的に避難するためだけのはずでした。

しかし彼らは帰れないまま、70年以上の年月が経ってしまったのです。


この壁に描かれているのは「故郷に帰るための”鍵”をまだ持っているぞ」というメッセージだそう。

難民キャンプ アイダキャンプ

アサドが言いました。

パレスチナの人たちは今の「異常な生活」に慣れてきてしまってるのも事実なんだ。

以前ほどの話し合いや抵抗運動もしなくなっている。

これは大きな問題だよ。



そうか…。

難民キャンプができてからすでに70年以上の時が流れている。

あまりにも変わらない現状に「諦め」を抱いたり、抵抗する気持ちすら失う人が出てくるのは当たり前ですよね。

ぴっぴ

問題の根深さを痛感しました。

さらにアサドが驚くべきことを口にしました。

難民キャンプの住民のなかには、貧しい装いをしているだけで実は裕福な人たちも一定数いるんだよ。


貧しい難民がたくさんいる一方で、「経済的余裕があり難民キャンプの暮らしにある程度満足している人」も一定数いるという現実。

難民キャンプ アイダキャンプ
ポン

なんだか複雑すぎるね…。


このままの状況は絶対に良くない。

でも…解決策が見えてこない

ぴっぴ

心の中がずっとモヤモヤしていました。



そんななか、空を見上げると…「あ!虹だ!」

難民キャンプ アイダキャンプ

世界中のどこでも、虹は綺麗なんだよなぁ。


難民キャンプの帰り道、アサドおすすめの「中東料理レストラン」でランチしました。

中東料理レストラン
ポン

おいしそう~♪

フムスというひよこ豆ペーストを、パンに付けて食べます。

フムス ファラフェル

同じくひよこ豆を使ったファラフェルというコロッケも。

うむ、うまい。

ご飯を食べながらアサドの仕事にかける情熱の話も聞けて、とても刺激をもらいました。

心から尊敬できる人です。

パレスチナ人兄弟と過ごす夜

パレスチナ滞在2日目の夜、アサドと弟のルスランと一緒に日本食レストランにて晩ご飯。

こちら、「クリスマスツリー」と「だるま」のコラボレーションです。

パレスチナ ベツレヘム
ポン

パレスチナにも日本食レストランがあるんだね。


メニューにはお寿司とかあったけど、めちゃくちゃ高くて手が出ません(笑)。

店内はクリスマス仕様になっていて可愛い。

パレスチナ ベツレヘム

私のリクエストで、人生初の水タバコに挑戦することになりました。

ポン

水タバコってなに?


水タバコはイスラム圏で親しまれている喫煙方法の一種で、「シーシャ」とも呼ばれます。

香り付けされたタバコの葉に炭を乗せて熱し、出た煙をガラス瓶の水にくぐらせて吸うというものです。

(参考:JT 「水たばこ」


フレーバーは「グレープ」を選びました。

2人にお手本を見せてもらいます。

こうやって吸って・・・・

パレスチナ ベツレヘム

ルスランが、プシュー!!!

パレスチナ ベツレヘム

彼は水タバコが大好きなんだそうです。

私も恐る恐る吸って…

パレスチナ ベツレヘム

プシュー!!

パレスチナ ベツレヘム
ぴっぴ

念願の不良デビュー(?)です!笑


私は人生初タバコでうまく吸えなかったけど、ほんのりグレープ味がしてとても面白かったです。


アサドも慣れたもんで、煙の輪っかを作ってました。

パレスチナ ベツレヘム

私も挑戦してみましたが、ぜんぜんダメでした(笑)。

2人とも本当に優しくて良い人で、たくさんのことを語り合いました。

日本のこと、パレスチナのこと、恋愛のこと、夢のこと、ルスランの遠距離恋愛のこと。

アプリで写真をとってワイワイしたり。

家に帰ってからもくだらない話で盛り上がって、とっても楽しい夜でした。

ぴっぴ

2人ともありがとう。


こうしてパレスチナ滞在2日目が終わりました。

『パレスチナ滞在(後半)ゴーストタウンがある街ヘブロン編』へ続く…

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